平素より格別のご厚情賜り、誠に有難うございます。

「中立的な金融アドバイザーとして、お客様に喜んでいただき、地域に貢献したい」

そのような想いで証券パートナーズ株式会社を立ち上げました。

 私は約10年間の金融業界での業務を通じて、業界の裏も表も見てきました。
金融・資産運用はお客様からすれば、知らないこと、分かっているようで分かっていないことがたくさんあると考えております。

 金融機関の人間が理解してる一方で、お客様が理解していない、知らないが故に、お客様側が不利益を被ったり、損していることというのは少なからずあると考えております。
だからこそ、お客様側の金融アドバイザーは金融機関の営業方針に縛られず、より中立的であるべきだと考えております。

 当社では社員全員が金融のプロフェッショナルであるという自覚を持ち、お客様にとって一番良いと考える商品提案を行うことを誓います。

業務を通じて、お客様に喜んでいただき、地域のお役に立つことを使命とし、これからも歩み続けます。

代表プロフィール

◆1991年
奈良県生駒郡斑鳩町 生まれ

◆2009年
奈良県立生駒高等学校 卒業
1年間の浪人生活を送る

◆2014年
同志社大学法学部 卒業
野村證券株式会社 入社
千葉県柏支店に配属

◆2017年
大阪支店WM部に転勤
資産10億以上の超富裕層を専門に
コンサルティング営業に従事

◆2019年
株式会社イコールワン入社
証券部門営業部長就任

◆2020年
証券パートナーズ株式会社設立
代表取締役就任

現在に至る

なぜファイナンシャルアドバイザーという仕事を選んだか

◎大学卒業~野村證券との出会い

私は大学を卒業して、新社会人として野村證券株式会社に就職しました。

当時、同期入社は約500人ほどで、入社前の研修で知り合った面子も非常に優秀な人間ばかりで、今振り返っても新入社員として野村證券に入社し、社会人の基本を叩き込まれたことは最高の経験であり、最善の選択だったと思っています。最初に配属された支店は千葉県の柏支店でした。

朝の5時に起きて、日経新聞に目を通し、モーニングサテライトを見た後、7時前に出社。

始業前の支店雑務を終えた後、指導係の先輩社員と新聞の読み合わせを行い、その日の営業の段取りを打ち合わせし、9時になったら飛び込み営業で外出、というなんともハードな1日を過ごしていました。

叱られたことも褒められたこともたくさんありましたが、上司やお客様に恵まれ、毎日忙しいながらも伸び伸びと営業させていただき、その甲斐あってか、社内の表彰にも複数回選出され、非常に充実した新人時代を過ごさせていただきました。
また、様々なお客様との出会いを通して、証券営業の難しさややりがいを学ぶことができました。  

◎転勤~転職のきっかけ

そんな私にも入社4年目の夏に異動のお告げが発表され、大阪へと転勤することになりました。

柏支店での頑張りが評価されたこともあり、超富裕層を専門で担当するWM部
(ウェルス・マネジメント部)への異動でした。
今まで見たこともない単位の資金が動き、転勤して1か月は驚きの連続でした。 次第に環境にも慣れ、営業活動の成果も表れ始めていましたが、それと並行して違和感も感じるようになっていきました。

それは高すぎる営業目標と会社の推進販売でした。
億単位で顧客に売買させている上司でも営業目標に届かないことはザラで、中には目標を達成するために、客観的に見ても合理的でない売買を行っている社員もいました。

もちろん、優秀な方ばかりの部署だったこともあり、真っ当にサービスの対価として手数料をいただき、目標を達成している人もいましたし、すべてを否定するつもりはありません。ただ、全営業支店の頂点に立つ部署がこの状態であることを見たときに、「何かが違う」、そう感じました。

そして転職を大きく考えるきっかけとなった2018年12月。
ある株式銘柄が新規上場することになり、その幹事証券を野村證券が引き受けることになりました。

当時、ニュースを大きく賑わしていたので、ご存じの方も多くいらっしゃると思います。その多額の新規上場株を販売しなければならない、という指令が上層部から降ろされ、全社的に新規上場株の販売に取り組むこととなりました。当時は野村證券だけでなく、国内の大手証券会社はほとんど幹事証券に入っていましたので、国内の証券営業マンはこの銘柄の販売に昼夜駆けずり回っていたことだと思います。

また上場前にもかかわらず、ネガティブな情報もかなり流れており、冷静に見て大きく値上がりする期待はかなり薄かったと今でも覚えています。営業マンはそれを心のどこかで分かりながらも販売しなければならないという葛藤に全員苦しめられていたと思います。「私自身は自分の意思を突き通して、全く販売には取り組まなかった」と言えればかっこいいのですが、こんな風に書いている私も、会社の一員として販売活動を行っていました。

結果として、会社の目標販売株数は達成できましたが、その銘柄は上場とともに値下がりし、お客様に大きくご迷惑をかける形となってしまいました。

当時は自分の5年間の営業活動を振り返り、柏支店や大阪支店で自分が開拓したお客様のことをずっと考えていました。自分はなぜこの仕事をしているのか、 何のために存在しているのか、 突き詰めて考えて考えて、その新規上場から1か月間ほど、ずっと悩み続けました。

ですが、考えれば考えるほど、今まで出会ってきたお客様の表情が浮かび、自分が金融アドバイザーとして仕事をしている理由は、やはり「目の前のお客様に喜んでいただくため」だと再確認することとなりました。

「会社員として仕方がない」といえばそこまでですが、そのことがあって以来、私自身、証券マンとして、資産アドバイザーとしての在り方を大きく見つめ直し、会社にとらわれず、より中立的な姿勢でお客様と関わっていきたいという思いが強くなり、転職という道を考えるようになりました。

◎保険代理店への転職

前職のお世話になった株式会社イコールワンは保険代理店であり、野村證券時代の知り合いが多く在籍しておりました。

保険の専門家が多く、「投資証券」しかやってこなかった自分も、
「生命保険」という個人の方に身近な金融商品への知見を高めることはアドバイザーとしてより高みを目指せると考え、転職に至りました。

生命保険の重要性や具体的な活用のノウハウを学び、また証券営業とは違った意味での保険営業の難しさも学ばせていただきました。

ご対応させていただくお客様も、証券時代とは異なり、年齢層は若い方が多く、野村證券で勤めていた時とは違うアプローチでのコンサルティング営業に従事することができました。また、お客様との対話を通して若年層からの資産形成の重要性も非常に感じることも多く、保険・証券・不動産を活用した資産形成の提案が可能となったことで、私自身のアドバイザーとしての幅も広がったと実感しております。

◎FP法人 証券パートナーズ 設立

そして、2020年2月14日、私の29回目の誕生日に当社を立ち上げました。

ですが、立ち上げたばかりの時期にコロナウィルスの感染拡大、緊急事態宣言での在宅を余儀なくされ、設立準備もままならず、課題や困難も多く生じましたが、なんとか開業まで進めることができました。

「証券パートナーズ」という社名は
【資産運用を通じてお客様のお役に立つ】、【お客様とともにパートナーとして歩む】という想いを込めて命名致しました。 

私は金融業界に約6年間在籍し、業界の裏も表も見てきました。
お客様には当然ですが、担当者が自分自身にも嘘をつかず、心の底から「本当にこれが良い」と思える、中立的な提案を行う。

そんな想いを胸に、今日も進み続けます。